人の心を満たす前に自分を満たす
誰かのために頑張ったり
困っている人を助けたりすることは
とても慈悲深く尊い行いの一つと言われておる
自分の時間を捧げても惜しくない、そう思えるような友達や家族、恋人に出会えることは
お主にとっては幸運でとても幸せなことじゃろう
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しかし、ここでワシがあえて言いたいことは誰かのためにの前に自分のために時間や労力を使ってほしいということじゃ
「人を満たす前にまずは自分を満たす事」
なぜワシがこのことを皆に伝えたいのかというと、「誰かのため」が原動力になっているとそれが自分の中の唯一の支えになってしまって依存してしまい結果的に自立することができなくなってしまうことになるからなのじゃ
その支えがなくなってしまった時、お主は目的を失い、何のためにこれまで頑張ってきたのかがわからなくなってしまう
行き場を失ったエネルギーは今度は別のより所を探してまたそこに依存してしまうという癖がついてしまうかもしれない
じゃからまずは自分をある程度満たしてあげてから他人に目を向けることが必要になってくるということじゃ
一ついい例を紹介しよう
今からする二つの質問をお主の頭の中で想像して考えてみてほしい
お主は今とっても貧しい国で生活をしている
お金がないからその日の食糧を買うのもやっとで、今日の食事は二日ぶりのパンじゃった
そこにお腹を空かせた小さな子供がやってきてパンを半分分けてほしいと言ってきた
さてお主はそこでその子供に自分の食糧を分けてあげるじゃろうか?
いかががな?二日ぶりのパンじゃからお主はよほどお腹が空いているじゃろう
子供にパンを分け与えるのは少しためらってしまうのではないじゃろうか
では二つ目の質問じゃ
お主は裕福でお金が有り余っておる。毎日食事がテーブルいっぱいに並べられ
自分のほしいものは何だって手に入る、そんなところにある日小さな子どもがやってきてパンを一切れ分けてほしいと言ってきた
さてお主はパンを一切れ渡してあげるじゃろうか?
おそらく、お主は快くその子供にパンを渡してあげるじゃろう。もしくはバケットにたくさんパンを入れて渡してあげるものもいるかもしれん
この二つの質問の違いは何じゃろうか
答えは自分が見た満たされているのかそうでないのかの違いじゃ
自分の欲求も満たされていないのに他の人に何かをわけ与えることは少し難しいじゃろう
いくら優しいとはいえ快くその人を助けることはできない。
じゃが、もし自分の満たすことができるなら多くの人に手を差し伸べる余裕を持てるようになる
この余裕を持って快く人を助けることができる人になって初めて
人のために矢印を向けることができるとワシは思っておる
だれかのために生きることは自分の中の貴重な時間を使っているということを理解しなければならない
自分を満たすことができないと他人の人生を生きることにもなりかねない
そうはなってほしくないからまずは自分の心を満たすことを考えてみてほしい
そうすることで自然と誰かのために何かしたいと思えるようになってくるのじゃ
自分を満たしてから人を満たしても決して遅いことはないとワシは思う
最後まで読んでくれてありがとう
次回もお楽しみに(^^)v
人の世に道は一つということはない。道は百も千も万もある。
人の世に道は一つということはない。道は百も千も万もある。
ー坂本竜馬
1836年1月3日~1867年12月10日
(天保6年11月15日~慶応3年11月15日)
土佐藩の下級武士の家に生まれ、姉の勧めで剣術を始めると、その才能を発揮し始る。18歳で剣術の勉強のため、江戸に留学。
その頃、ペリーが来航し、藩の命令で品川の警備をしていた竜馬も外国船を見る機会があった。その大きさに驚き、剣術では外国とは戦えないと思い、西洋式の砲術を習い始める。
1862年、27歳で脱藩した後、勝海舟の海軍を作りアジアの国々と連帯する話を聞いた竜馬は、そのスケールの大きさに感激し、海舟の弟子になり、神戸海軍操練所の創設のために奔走する。
ワシの好きな歴史上の人物の一人じゃ行動力の鬼じゃった竜馬さん
外にある世界の広さに気づき、日本が世界と渡り歩いていくためにはどうしたらいいかと若い時から奮闘しておったのじゃな
そんな龍馬さんの残した言葉でワシが特に気に入っている言葉が
「人の世に道は一つということはない。道は百も千も万もある。」
という言葉じゃ
日本を世界と戦えるまでにしようと邁進しておった竜馬さんは何度も世界との壁にぶつかり、周りの人から馬鹿にされたこともあったじゃろう
しかし、竜馬さんはそれを理由に自分の道を諦めなかった
他の方法を模索し常に最善を尽くしておったというわけじゃ
一度失敗や挫折を味わうと人は
「自分には無理なんじゃないか」
「どうせ私にはできない」
と諦めてしまう
一度失敗したからなんじゃというのじゃ
ほかにも道はいくらでもある、それを探そうとしないだけで
自分のやっていることがうまくいかなくなった時にこの考え方はとても役に立つ
今の自分にできる選択肢を最大限活用してその道を突き進もうとする信念があれば
龍馬さんのいう通り道は百も千も万もある
一度立ち止まって自分にある選択肢を今一度深掘りしてみてはいかがじゃろうか
お主の持つ無限の可能性に気がつくことができるじゃろう
偉人の方の生き方は今を生きる私たちにも多くの学びをくれる
最後まで読んでくれてありがとう
次回もお楽しみに(^^)v
本当の友達
「友達は多い方がいい」
とよく言われているが果たして本当にそうじゃろうか?
「友達はたくさんいる方がいろいろな人脈が増えて人生に幅が広がる!」
「いろいろな界隈にコネができる」
このような理由で友達作りをしておらぬじゃろうか?
友達を作るために自分を偽って空気を壊さぬように振る舞ったり、自分のイメージを壊さぬように皆に優しく振る舞ったりしておらぬじゃろうか?
今回は本そんなお主のための本当の友達を作るための知恵袋じゃ
最近、人と人との距離が物理的に離れてしまっている世の中で友人と呼べる存在がいることに
とても感謝できるようになった
若い頃はいろいろな業界の人たちや異なる趣味を持った人たちなどとの飲みの場にも参加し
一人でいることが怖くて誰かと一緒になって歩いていたいと思っていたこともあった
一人でいる人間は寂しく、虚しく、かわいそうだと思っていたからじゃ
そんな考えが変わったのは海外で一人暮らしをしていた時に感じた
一人の時間の大切さを知った時じゃった
生まれてから死ぬまで自分の人生を歩くのは自分自身であるという言葉に巡り合って
本当に自分がしたいことや学びたいことがあると気づいた時ワシは周りに合わせている時間などないことに気がついた
現に世の中の成功者と呼ばれるものたちは皆一概にしてこの一人の時間を重要視しておる
かといって一生孤独でいるわけにもいかない
人間は人の間で生きてこそ人間なのじゃ、孤独は寂しい。
ワシたちの身の回りにはさまざまな人間関係がある
家族、隣人、職場、地元、学校、旧友、コミュニティ、サークル
このようなたくさんのグループの中で一番自分が素でいられる相手や気の許せる相手は
意外と数えられるほどしかいないのではないじゃろうか。
その中でも培ってきた時間やお互いに信頼があるものは一人か二人居れば十分なはず
ワシはそれこそが本当の友人じゃと思っとる
お互いがお互いを尊重し信頼し、助け合える関係というのはよくよく考えると
とても難しいことで時間もかかる
SNSのフォロワーが何億人いようとこの一人には敵わない
そういうような人と出会えたならお主はすでに最高の友達を持っているといえるじゃろう
それはとても誇らしく幸せなことじゃとワシは思う
本当の友達とは人生の中で一人見つけられば十分じゃ。
その友達を一生大事にして
多くのことを共に体験し
共に学ぶ
お互いに成長し合える友達をお主の人生でもぜひ見つけ出してほしい
最後まで読んでくれてありがとう
次回もお楽しみに(^^)v
ものは少なく洗練する
一度自分の身の回りにあるものを見てみてほしい
部屋の中には衣服やインテリア
キッチンには冷蔵庫や調理器具
浴室にはタオルや洗面用具
玄関には靴や雑貨
自分の住むスペースに何個ものがあるのかを把握しているものは少ないじゃろう
気づいたらモノで溢れかえっていてもう着れなくなった服や「いつか使うかもしれない」ととっておいたものなどはホコリをかぶって押入れの中で寂しい思いをしているなんて人が多いのではなかろうか
そこで、今一度自分の身の回りのものに目を向けてみてほしい
まずは自分が最低でも何があれば生活していくことができるのかを知ることが大切じゃ
必要最低限のもの。
今の時代パソコンや携帯は人々の必須の持ち物になりつつあるが
そのほかに服、洗面用具、ペン、食べ物、時計、、、
自分が「毎日」使っているものは今のそなたの生活には欠かせないものとなっておるじゃろう
必要最低限のものとなるとリュック一つで収まってしまうこともある
ほとんどのものが毎日使っているものは思いのほか少ないと感じるじゃろう
今思い浮かべたものだけでとりあえずお主は今の生活を続けていくことができるということになる
なぜものは少ない方がいいのか?
ものを少なくするとその物に対して大切に扱うという気持ちが生まれ丁寧に扱うようになる
手入れや掃除をしてものに磨きをかけてお金に余裕ができたらメンテナンスやグレードアップのために新しく買い換えるということもできる
そうすると身の回りのものはどんどん洗練されストレスなく毎日の生活を送ることができる
100個のものをサッと磨くよりも
10個のものを丁寧に磨こうということじゃ
ものを持たないことでお主自身もどんどん磨かれていくじゃろう
もの捨てるのがどうしても苦手というものは一度、キャリーケース一つで旅に出ることをおすすめする
キャリーケースには自分の必要最低限のものや自分のお気に入りのものしか入れることはできないたくさん入るようで意外とものは入れられない
その旅で自分が本当に必要なものが見えてきて意外と少なくても自分が生きていけるということに気がつくことができる
そして普段どれだけ多くのものに囲まれて生きてきたのかも知ることができる、
ものを少なくしても人は案外大丈夫なものじゃ、是非試してみてほしい。
最後に、身の回りのものを減らし洗練するということは自分が人生をどう歩むかを決めるということと同じじゃとワシは思っとる、一度自分の必要最低限必要のものがわかると自分の本当に必要なものや、好きなものがわかってくるからじゃ
自分を見つめ直すいい機会じゃと思って身の回りの整理を前向きな気持ちで行ってみてほしい
最後まで読んでくれてありがとう
次回もお楽しみに(^^)v
井戸の中の蛙大海を知らず
井戸の中の蛙大海を知らず
井戸の中にいる蛙は井戸の外にある大海を知らない
現状に満足せずに広い視野を持つ大切さを教えるときによく使われる日本のことわざじゃが
日々成長している私たち人間にとっては基本としておくべき大切な言葉じゃとワシは思う
ワシの子供時代に特に知っておきたかったことでもある
小さい頃は幼稚園や小学校、家族といった物差ししか持っておらんかった、おそらくほとんどの人がそうであったじゃろう
小学校の運動会では一番足が早かった
勉強はクラスで一番できた
家の中では一番お母さんのお手伝いをした
なんでも一番を目指すということは素晴らしいことじゃ
とても自分を誇らしく感じることができるじゃろう
じゃが世の中にはもっと広い世界があるということをいつかは知ることになる
それを見て見ぬふりして目の前のことに集中してしまうのも一つの手なのかもしれんが
ワシから言わせればそれは自分の成長から目を背けているのと同じことじゃ
もっと広くて大きな海に飛び込むと自分がどれだけ小さな世界に閉じこもっていたのかが痛いほどわかる、それだけ外の世界には新しい発見がたくさんあるということじゃ
もちろん恐怖を感じることもあるじゃろうしあぶない目に遭うこともあるかもしれん
じゃがそれすらも自らの経験と捉えることができたら人として一気に成長していくことができるじゃろう
井戸の中で何年準備をしても構わない
でもいつかは自分の世界、ものさしを広げるために井戸から出てみてほしい
海に出ることで新しく出会う経験や仲間、景色がお主を待っているはずじゃ
じゃがこの言葉には続きがあると言われている
井戸の中の蛙大海を知らず
されど空の深きを知る
ことわざというのは良くできておる。
その場所にいるお主にしか見えない景色がある、それに気づくことができたらこれからの時間がより輝いて見えてくるじゃろう
最後まで読んでくれてありがとう
次回もお楽しみに(^^)v
掃除をすると心が磨かれる
住んでいる環境を整えるためにどのくらい
掃除をしておるじゃろうか
いつかやろう、いつかやろうと先延ばしにしてしまって汚れが溜まってしまうのはよくあることじゃ
自分の普段の生活を心地よいものにするためにも掃除をすることはとてもいいことじゃ
今回は掃除が苦手な人や普段掃除をしない人が少しでも掃除をする気になってくれるように掃除をすることで得られるメリットについて話していこうと思う
ワシは昔掃除が嫌いな人間じゃった。
めんどくさがりな性格で汚いものを触るのが苦手じゃったから掃除や手入れはせずに自分がその日にやりたいことをやって掃除に充てる時間は少しも確保していなかった
そんなワシが掃除をするようになったのは一人暮らしを始めてからじゃ
一人暮らしを始めて一ヶ月が経った頃
自分の部屋の埃や食べ残し、トイレの汚れなどが目立つようになってきて衝撃を受けた
今までは掃除をしてもらっていて気づけなかったけど、自分以外に掃除をする人がいなくなったら汚れは溜まっていく一方なのじゃ
空気はよどみ、悪臭が充満し、トイレが黄ばむという典型的な汚部屋が出来上がったのじゃ
自分の不甲斐なさに直面してからワシは意をけして掃除を始めた
人は自分の力のなさを自覚すると、ショックを受け改善をしようとするものじゃ
まずワシが手をつけた場所はトイレじゃった
いつも使いっぱなしじゃったトイレを最初はマスクと手袋とビニール袋とういうフル装備で掃除に臨んだが隅から隅まで汚れが溜まっており気を失うかと思った、、
こんな思いはもう二度としたくないと思った
他の場所もみるみる磨きをかけて最低でも一週間に一度は、部屋全体を掃除するようになった
すると、部屋の雰囲気が変わり仕事が捗るようになり物が綺麗に整っていると気持ちが良くなってストレスを感じなくなった
心が浄化された気分になった
お坊さんの世界では掃除は重要な修行の一つとされており、お寺を綺麗に保つために僧侶たちは一生懸命に床を磨く
そうして何度も何度も磨き上げた床は光沢を話し庭の紅葉や青い空の風景を映し出す
掃除はすればするほど磨きがかかり終わりがないのじゃ
隅々まで掃除が行き届いているところは光り輝いて見えて気持ちがいい
さらに、汚れが気になるからものを汚さないようになる
ここまでくると掃除の虜になって掃除をすることが楽しくなるのじゃ
自分の心を磨くように掃除をする
ぜひ掃除の真の楽しさに気づいてみてほしい
最後まで読んでくれてありがとう
次回もお楽しみに(^^)v
山登りが教えてくれたこと
先日初めて山登りをしてきたのじゃがとてもしんどかった。。
ずっと階段を登っているようで身体に応えた
登山を趣味にしている人は凄いと思ったのじゃ
時間はかかったが何とか頂上までたどり着くことができた
初めての登山は本当にたくさんの学びがあった
山登りはよく人の人生に例えられるのじゃが
その意味がよく理解できた
私が一番感じたことは
1歩づつしか人生進んでいけないということ
1度山登りをした事がある人は分かるじゃろうが
いきなり大きく道を進むことは出来ない
1歩1歩少しづつしか登山道は進めないのじゃ
その歩みを止めたらそこまで
歩き続けることでしか山頂にたどり着く方法はない
進めないと思ったら一度腰を下ろして休んでも良い
次の活力を得るために1度立ち止まって自分の今までの頑張りを振り返る
自分がこれまでどれだけのものを積み上げて来たのか自分が今いる所からそれを見ると今まで見えていなかったものが見えてくるものじゃ
それを知ることでこの先を進んで行く活力になる
もう一度自分がどこに向かっているのかを再確認することもできるじゃろう
険しい道を超えた時、人は大きな達成感と感動を得ることができる
それらを山登りは教えてくれた
思い悩んだら1度山に足を運んでみてほしい
自分の生き方を見直すいい時間になるじゃろう
人生は学びに溢れておる